リスクへの感受性を磨こう
「こうちさんぽメールマガジン」2007.10月号より
労働衛生工学担当相談員 門田 義彦
私の家の近くの幹線道路は通学路になっています。登下校時には、高校生が自転車で狭い歩道を道幅いっぱいにひろがって通行しています。話に夢中になっているのか、対向する自転車に近づいてもなかなかよけません。対向自転車がぎりぎりに近づいて、やっとわずかな幅をあけて、危うく通り抜ける場面をよく見かけます。彼らには悪気はないでしょうが、危険であるという意識はないのでしょう。この場合のリスクについて考えてみました。
リスクというのは、事故が発生した場合のケガの重大性と発生する可能性で考えます。(リスク=ケガの重大性×可能性)。
まず、ケガの重大性です。対向する自転車に接触して転倒した場合、負傷の程度は切り傷が考えられます。速度によっては骨折まであり、さらに車道に向かって転倒した場合は、最悪の事態があるでしょう。
つぎに発生する可能性について考えます。通勤通学時間帯ですので、通行する自転車は数十台にのぼります。しかも、乗り手は学生から老人まで、広い年齢層となっています。高校生たちは、対向する自転車が通るだけの幅をあけたかもしれません。しかし、どちらかが、ふらついて接触する可能性があります。自分は、ふらつくことはないと確信しているでしょが、相手は年齢層もまちまちで運転の技量は不明です。したがって、接触する可能性はかなり高いと考えられます。
このように、この道を自転車で横並びに通行するリスクはかなり高いと予測されます。たしかに、リスクの高い低い以前の問題として、歩道の自転車通行は交通ルール違反ですし、モラルとしても許されることではありません。ただ一方で、単純にルールやモラルを強調しても遵守されるでしょうか。こういった行動に潜むリスクの高さを、彼ら自身が知ることが重要だと思います。
近年、若者の「リスクに対する感受性の鈍さ」がささやかれています。しかし、その傾向は若者だけでしょうか。最近の重大労働災害の報道ら接すると、そうとばかりとは言えない気がします。私たちは、ルールを単純に守るということに厭き、何気ない場面のなかに潜んでいるリスクに鈍感になっているのかもしれません。日常生活や仕事をしていくうえで、あらためてリスクを予測をして、リスクへの感受性を高めてみてはいかがでしょうか。