タバコのあれこれ
「こうちさんぽメールマガジン」2008.4月号より
産業医学担当相談員 坪崎 英治
序 私は69歳の男性で職業は医師です。20年ほど前になんとかタバコをやめました。
さて、最近ほど煙草のみにとって厳しく、過ごしにくい時代はありませんね。先の大戦中は物資不足のため配給で手に入る煙草の量が限られており、超ヘビースモーカーであった私の父親なども大変な苦労を重ねていたのを思い出します。かくいう私も幼いときから父親の副流煙を吸って育ったせいか、二十歳の頃には立派な中毒者で毎日四十本から五十本は吸っていました。家庭内であろうが、職場であろうが、列車のなかですら遠慮なく吸えた時代ですから、今想うと隔世の感があります。それが20年前の大晦日の晩に、あるきっかけで禁煙を誓い、どうにか今まで続いています。もっとも、それまでに数回の挫折経験がありましたし、禁煙中にも夢のなかで猛烈に煙草を吸っている自分に気が付き、苦笑いしながら目が覚めたことも何回かありました。しかし、現在のように世を挙げての禁煙の時代では、もう二度と煙草を始めることはないだろうと安心しています。煙草の中毒性、依存性、離脱時の禁断症状の強さはニコチンアルカロイドによるものですが、麻薬である阿片モルヒネに匹敵すると云われています。両者の違いは、人格の崩壊が煙草には無いだけだということのようです。
さて、煙草というものが人類の歴史に登場したのは、南米メキシコのユカタン半島にあるインディオの石造神殿遺跡の地下の壁面に、パイプ喫煙している神官の絵が描かれているのが最古の記録といわれています。わが国に始めて入ってきたのは西暦1500年代の後半、かの有名な種子島への鉄砲伝来と同時といわれています。鉄砲はただちに国産化が始まり、二~三年を経ずして全国に拡がり、近隣の韓国などにも輸出していたというから驚きものですが、煙草のほうも負けず劣らず素早く国内栽培が普及し、喫煙の風習が全国に広まりました。明治の後半に、日本は日清・日露の両戦役を敢行しましたが、その膨大な戦費の一部を賄うために国は煙草を専売品として定め、多額の収益をあげました。喫煙の悪習は国の公認のものとなったのです。反面、高額な税金を課せられても人々は喫煙の習慣から逃れることが出来なかったことを示しています。
喫煙が健康に害を及ぼすことは、既に皆様は充分にご承知のことと存じますが大別すると次の三種が挙げられます。
まずはニコチン及びタールによる発癌です。喫煙者の尿を調べると40種以上の発癌物質が含まれており、肺癌のみならず全癌の発症を押し上げる危険なものです。その発癌性の強力さは、恐らく原子力放射性物質に匹敵するほどです。日本では2000年以降死亡総数の一位を肺癌が占め続けています。喫煙者本人のみならず、同居家族が吸わされてしまう副流煙にも強い発癌性をもっていることが判っています。
第二はニコチンの血管毒としての有害性です。ニコチン吸収は血管壁を収縮させ、血圧を上昇させることから高血圧、動脈硬化、脳卒中、心筋梗塞、狭心症などの発病危険因子の最大のものと認識されています。また、胃潰瘍などの発病率を上げることも良くしられています。
第三は最近とみに注目されるようになりましたが、まだ充分には周知されていない煙草の肺機能を冒す有害性です。COPDまたは慢性閉塞性肺疾患という新たに増えつつある重大な肺の生活習慣病です。これについては誌面字数の制約から次号に紹介したいとおもいます。